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「花園」を知らなかった素人集団

1万3千人の観客を集めた花園、浦和高の健闘に多くのファンが大歓声を送った
1万3千人の観客を集めた花園、浦和高の健闘に多くのファンが大歓声を送った【斉藤健仁】

「ラグビー部に入るまで花園という言葉を知らなかった」。経験者が2人しかいない初心者集団が、関東の強豪県のひとつ、埼玉代表として54年ぶりに花園に出場した。
12月28日、近鉄花園ラグビー場で全国高校ラグビー選手権大会の1回戦、浦和高(埼玉)対光泉高(滋賀)が行われた。「ウラコー」こと浦和高は、昨年度の公立高の東大合格者数ナンバーワンの進学校として注目され、1万3千人の観客を集めた。しかも前回出場時は西宮球技場での開催だったため、浦和高にとっては「初の花園」となった。
対戦した光泉高しかり、多くの強豪校はラグビー経験者がほとんど。しかし、浦和高の場合は事情が違う。中学時代の競技歴は野球、サッカー、水泳、卓球などの文字が並ぶ。県下最難関の高校のため「ウラコーにラグビーをやるために入ってくる選手はほとんどいません。だから中学生を誘うことなどは一切しません」(小林剛監督)
また、さいたま市の浦和区はサッカーの街だ。浦和高の近くには駒場競技場があり、埼玉県サッカー協会もある。浦和高のサッカー部は過去、3度、全国高校サッカー選手権に優勝した古豪だ。そのため、ラグビー部は毎年4月、監督と選手が一丸となって、昼ご飯を食べる時間を削ってまで、男子400人ほどの新入生の勧誘に精を出す。選手層を厚くし、試合形式の練習をするために15人で行うラグビーでは部員確保が欠かせない。

初心者でも勝つために確率の高いプレーを

柴田主将(中央)は「本気で部活をやろう」とラグビー部を選んだ
柴田主将(中央)は「本気で部活をやろう」とラグビー部を選んだ【斉藤健仁】

「先輩に声をかけられたから」「雰囲気が良さそうだったから」と20名以上の部員を毎年確保し、現在は72名。埼玉県では最大規模で、51の花園出場校の中でも、Aシードの大阪桐蔭高より多く、上から7番目と大所帯だ。主将のHO柴田尚輝(3年)も「中学時代はバレーボール部でしたが、あまり厳しくなかった。もっと本気で部活をやろうと思って」と楕円球の門をたたいた。
そうやって集まってきた素人集団を、「ウラコーでラグビーを教えたくて先生になった」という同校のOBの小林剛監督(39歳)が13年前から徹底的に鍛え上げてきた。校訓が文武両道を意味する「尚文昌武」であり、高校時代は部活と行事に精を出す風潮も後押しする。ちなみに小林監督は筑波大ラグビー部出身で、1995年度、関東大学対抗戦では明治大の50連勝を阻止し、大学選手権の1回戦では前年度優勝の大東文化大を破った時のFLだ。
ただ「僕は臆病なので」と自己分析をする小林監督は、初心者集団を勝たせるために、確率の高いプレーとしてディフェンスとモールを磨き、一歩一歩、強化を進めてきた。しかし、その前には深谷高が立ちはだかった。花園予選では過去5年連続で対戦、うち4度は決勝で顔を合わせ、すべて僅差で敗戦。過去3年間は、深谷高に高校生ながら日本代表合宿に招集されたSO山沢拓也(筑波大1年)というスター選手の存在も大きかった。

アタックは選手の自主性に任せる

1年前、新チームになり、前年度よりもFWの体格が小さかった浦和高は、「深谷に勝つ」をテーマにディフェンスとモールを磨きながらも「BKでもボールを動かす」ラグビーを標榜した。小林監督はディフェンスや接点といった規律が重視される分野では、今まで通りに声を張り上げていたが、アタックに関しては生徒たちの自主性に任せた。さらに状況判断を大切にし、試合形式の練習では「どうしてそのプレーを選択したのか?」と問い続けた。
それでも実戦では従来のラグビーから脱却できず、2月と5月には県の決勝戦で深谷高に敗戦。だが、今年度からコーチに就任した元早稲田大、リコーの後藤悠太氏が「BKの選手に自信をつけさせた」という指導のかいもあり、徐々にFWがBKを信頼する。11月の花園予選の決勝では、BKで展開しつつ、モールで崩して決勝トライを挙げて深谷に勝利し、54年ぶりの2度目の冬の全国大会の切符を手に入れた。